第4回 戦争映画 「JSA」
北朝鮮と韓国を隔てる朝鮮半島の北緯38度線を舞台にした本作。2000年に公開し、韓国の映画興行収入歴代1位を記録した良作です。
本作のおすすめポイントは2つ
①設定の面白さ
北緯38度線という、歴史の教科書に必ず乗ってるこのワード。1950年に勃発した朝鮮戦争を停止した軍事国境というのは有名だが、実際その国境ってどうなってるの?と思う人は多いはず。
この映画は、初めから最後までずーと舞台は国境です。国境を警備する両軍の兵士がたまたま仲良くなっちゃうんです。もうこの設定で勝負ありな感じがしますね。国境のドライなイメージと兵士の人間性溢れる演技が上手くマッチしてると思います。
②サスペンス要素
ストーリー展開として、始めに事件が起きて、その謎を第三者が解いていくというザ・サスペンス映画の感じ。これが軍事国境という緊張感と合わさって目が離せなくなります。詳しくは作品を観てもらいたいところですが、伏線を全て回収していくあたり、サスペンスのカラクリとしても非常に優れていると思います。
韓国映画を見るたびに思いますが、韓国俳優は迫力がある演技が得意ですよね。あっぱれ。
第3回 戦争映画「野火」2/2
映画「野火」の批判第二段です。
前回ではこの映画のリアリズムを解説してきました。今回はもう一つの特徴である、
②文学作品の美しさ
を解説したいと思います。
まず、この野火という作品の原作は大岡昇平の文学小説「野火」です。大岡昇平さんは他にも「レイテ島戦記」という史実に基づくノンフィクション作品も作ってます。
ただ、野火は文学として作ってます。レイテ島の戦う兵士を文学的視点で捉えて作ったんですね。なので、景色や森、川、虫、原住民に関する描写が数多く見られます。その兵士以外のものの美しさと、兵士の惨たらしい姿がさも異質かのように表現されていて戦争の凄惨さを掻き立てています。このあたりの映像としての巧さはほかの邦画戦争ものでは全く無かったものかと。塚本晋也監督おそるべし。
映像美以外にも、文学要素を多分に感じるのが兵士の倫理観の変化です。極限の飢えと死の迫りから、人が人たるもの(倫理観とか道徳観)がどう崩れていくか。そしてそれは極限の環境において正しいのか。
ここに関して結構グロい映像もあるので覚悟を。
ただ、この映画はグロを強調したホラーではないので、田村一等兵をはじめとした兵士の心の変化を楽しんで観てもらうとよいかと思います。
まとめると、
①強烈なリアリティ
②文学作品の美しさ
これが僕の思うほかの映画に無い、野火の良さかと思います。皆さんはどう観ましたか?
塚本高史監督は、高校生のときに小説「野火」を読んで以来、映画化したいと思い続けていたそう。そのせいか、小説にかなり忠実に撮られていると思います。小説から入るのも一興。では。
第2回 戦争映画「野火」1/2
2014年に塚本晋也氏の監督兼主演で放映されたこの「野火」という作品。
原作である大岡昇平氏の戦争文学小説「野火」を映画化したものです。
以下、簡単にあらすじ
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第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗北が濃厚となった過酷な戦況の中で、結核のため野戦病院へと送られた主人公の田村一等兵。
しかし、入院を拒絶され、部隊にも戻れず、行く当てを失い彷徨い続けます。
田村は、野戦病院の近くにいた2人組みの兵士たちと出会います。父親ほどの年齢の安田は足を負傷しており、永松という若い男が、下僕のように安田の面倒を見ていました。
絶望的な飢餓と米兵の攻撃の中、田村一等兵が見た究極の状況に置かれた人間の本質とは。
〜
と、ざっくり説明しましたが、ここからこの作品が如何に凄いか説明したいと思います。
まず、この映画は邦画の戦争モノとも洋画のものとも全く異質です。もう全然違います。戦争映画といえば、「永遠の0」とか「プライベートライアン」あたりが馴染みの作品で、戦争アクションと感動ストーリーを主軸にしたものが多い。野火はこれらとはジャンルが違うと言ってもいいほど異質な作品です。
何が違うか。2つの観点で解説します。
①強烈なリアリティ
②文学作品の美しさ
と、その前に本作品の背景情報を。
太平洋戦争を題材にした邦画は沢山ありますが、本作の舞台であるフィリピンのレイテ島やニューギニアの列島でも戦闘を扱った日本映画は皆無でした。これは結構不思議で、アメリカではガダルカナル島の戦いを扱ったシン・レッドラインやThe Pacific(ドラマ)で熾烈な地上戦を描いた作品があります。僕の見解では、占領先の島々の戦いはエンターテイメントといして表現しにくいからだと思ってます。というのも、大規模な爆撃や銃撃戦があったわけでもなく、日本国民が住んでいるわけでもない、こういった占領地を取り上げても観る人の感動を呼び込むのは難しい。2時間や3時間のストーリー展開を作りにくいんだと思います。
ただ、歴史的インパクトはめちゃくちゃあります。レイテ島を含むフィリピンは戦前はアメリカ統治下にあり、経済でも軍事でもアジアにおける米国の拠点でした。今で言う日本に近いかもしれない。そこを戦争初期に奇襲して奪ったのが日本陸軍でした。また、当時のフィリピンの軍事顧問がダグラス・マッカーサーでした。彼の太平洋戦争のモチベーションは完全にフィリピンの奪還で、かの言葉"I shall return"もフィリピンを指してます。つまり、レイテ島の戦いは米軍が最も本気で戦いに来た戦闘のひとつでした。
なら、さぞかし死闘が繰り広げられたのではないか、と想像してしまうかもしれません。全く違います。ほぼ一方的な戦局で、投入された日本兵、9万人のほとんどが戦死しました。しかも、そのほとんどが戦闘によって死亡したのではなく、餓死や病死でした。なぜかというと、歩兵を大量に投入したにもかかわらず、制空権と制海権のどちらも米軍に奪われており、完全にレイテ島内の歩兵が孤立していたためです。空や海からの補給が届かず、完全なる持久戦になってしまったのです。補給の無い歩兵は戦力になりません。一方的な虐殺になったわけです。これが、レイテ島に限らず、ガダルカナル島などでの戦闘の事実でした。
つまり、ただただ日本兵が米兵に殺されたり、餓死していく様を映像化しても誰も楽しくない。だから邦画でもアンタッチャブルな領域だったのかもしれません。ちなみに硫黄島の戦いも虐殺に近しいものがありますが、硫黄島は米軍が唯一敵国以上に戦死戦傷者を出した戦いで、ノルマンディー上陸作戦よりも米軍は被害を受けてます。日本軍は文字通り一矢報いた戦いでした。つまり、映画というエンターテイメントが成り立つ。
では、野火という作品でこのレイテ島の戦いをどう表現したか。
①強烈なリアリティ
この「野火」という作品は圧倒的にリアルです。どこがリアルかといえば、端的にいえば"グロさ"です。戦争映画では、グロさは重要な評価ポイント。それがないと戦争がもつ残忍さや醜さを表現できないから。ただ、あまりやり過ぎるとホラー映画みたいになってしまい、本来伝えたいメッセージが伝わらなくなったりする。
本作品はホラー映画さながらにグロいです。なのに、ホラーではなく戦争映画として成立している。この理由は②で解説したいと思います。
本作品のリアリティがその戦争のグロさを捉えた点と言いましたが、ちょっとネタバレ覚悟で具体的に話したい。
背景情報で触れましたが、太平洋戦争末期の南方戦線はまさに地獄でした。海と空から敵に囲まれ、物資や食料は補給されなかった。さらに悪いことに、末期には玉砕は禁止されていた。つまり、弾薬も食糧も支援しないが、とにかく島で戦い続けろという指令だったわけです。この状態で戦闘が始まると日本兵はどうなるか、それを映像で示したのがこの「野火」です。
まず始めに起るのは飢餓。本作品でも冒頭から表現されています。敵と戦うのではなくて、一日でも生き延びるためにただそこに存在するという状況。
次に起こるのが、強奪。食料がないなら他人から奪えば良いということ。フィリピン住民や時には味方の日本兵を殺して奪うことも。ほぼ野性動物化しています。このあたりはこの作品のテーマでもあるように思います。
そして、地獄の中で最後に現れたのがカニバリズムでした。まさに衝撃。詳しくは作品をご覧ください。
ここまで絶望や暴力的表現のオンパレードの作品かと勘違いされてしまいそうですが、なぜか美しさがある作品なんです。そのあたりを次回に。
続く。
第1回 憲法9条改正の是非
いきなり超ヘビー級のテーマに突っ込んでみました。
このテーマはテレビや新聞で騒がれることはあっても、僕を含め一般人が激論するとか、意見を発信する機会は少ないですよね。他人の意見も知りたいのと同時に個人的に思うところがあるのでコメントしたいと思います。
ちょっと前の朝生で9条について扱ってましたね。ウーマンラッシュアワー村本氏の発言が無知を理由に叩かれてましたが、あれはあれで非常に重要な発信だったと。
というのは村本氏の視聴者の視点に立つべきという言葉、これがこの問題のポイント。
彼の言う通りで、僕の周りにいる大多数の人、特に若い人はほとんど9条問題に関して知識がない、というか関心が無い。たぶん、「君は9条改正をどう思う?」と聞けば、「まあ、いいんじゃない」とかその程度の答え。この無知と無関心の何が不味いかというと、国民投票した時に「わからない」層の票が結構出てきてしまうから。この票は世論やメディアに左右されまくるので、政治家の手腕でころっとどっちにも転ぶ。
野党は反対してますが、政権交代したらおそらく改正と言い出すでしょう。経済でも外交でも軍を持つことはメリットだらけで、9条はあきらかに政府からすれば邪魔な存在だから。
何が言いたいかというと、国民の命を保障するほど超重要なルールが、結構簡単に変えられる可能性があるということ。そして、過去の歴史から見ても政府は国民の命より経済や外交を優先するということです。
なので、僕たち国民は最低限のリテラシーはまとわないと。いやいや、命が一番大事やろと。
かのナチス政権も国民が支持してます。自国経済のためなら戦争しても構わないと。
ちょっとそれましたが、僕は右でも左でもないのでどちらが正しいとか言うつもりはありませんが、このまま行くと、憲法改正なんてイージーじゃん、と政治家に思われてしまうのが最も危険だと言いたい。
憲法は国民のために存在するというより、政府の暴走を防ぐためにあります。そもそも日本の太平洋戦争の反省文としてGHQが作ってます。反省しない人はまた同じことをやります。みんなでしっかり政府を監視しましょう。
ちなみに、与党は自衛隊の明記を改正理由にしてますが、感じの「自衛隊」の定義については触れてません。少なくとも集団的自衛権について明らかにしてもらわないと改正の是非は判断できないはず。このあたりも国民の無知を利用してる感は否めません。
ということで、次回は明るく楽しく戦争映画評論にします。反省。。