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戦争関連の時事メモ、映画・小説の批評的なことをしていきます

第2回 戦争映画「野火」1/2

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2014年に塚本晋也氏の監督兼主演で放映されたこの「野火」という作品。

原作である大岡昇平氏の戦争文学小説「野火」を映画化したものです。

以下、簡単にあらすじ

第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗北が濃厚となった過酷な戦況の中で、結核のため野戦病院へと送られた主人公の田村一等兵

しかし、入院を拒絶され、部隊にも戻れず、行く当てを失い彷徨い続けます。

田村は、野戦病院の近くにいた2人組みの兵士たちと出会います。父親ほどの年齢の安田は足を負傷しており、永松という若い男が、下僕のように安田の面倒を見ていました。

絶望的な飢餓と米兵の攻撃の中、田村一等兵が見た究極の状況に置かれた人間の本質とは。

と、ざっくり説明しましたが、ここからこの作品が如何に凄いか説明したいと思います。

まず、この映画は邦画の戦争モノとも洋画のものとも全く異質です。もう全然違います。戦争映画といえば、「永遠の0」とか「プライベートライアン」あたりが馴染みの作品で、戦争アクションと感動ストーリーを主軸にしたものが多い。野火はこれらとはジャンルが違うと言ってもいいほど異質な作品です。

何が違うか。2つの観点で解説します。

①強烈なリアリティ

②文学作品の美しさ

 と、その前に本作品の背景情報を。

太平洋戦争を題材にした邦画は沢山ありますが、本作の舞台であるフィリピンのレイテ島やニューギニアの列島でも戦闘を扱った日本映画は皆無でした。これは結構不思議で、アメリカではガダルカナル島の戦いを扱ったシン・レッドラインやThe Pacific(ドラマ)で熾烈な地上戦を描いた作品があります。僕の見解では、占領先の島々の戦いはエンターテイメントといして表現しにくいからだと思ってます。というのも、大規模な爆撃や銃撃戦があったわけでもなく、日本国民が住んでいるわけでもない、こういった占領地を取り上げても観る人の感動を呼び込むのは難しい。2時間や3時間のストーリー展開を作りにくいんだと思います。

ただ、歴史的インパクトはめちゃくちゃあります。レイテ島を含むフィリピンは戦前はアメリカ統治下にあり、経済でも軍事でもアジアにおける米国の拠点でした。今で言う日本に近いかもしれない。そこを戦争初期に奇襲して奪ったのが日本陸軍でした。また、当時のフィリピンの軍事顧問がダグラス・マッカーサーでした。彼の太平洋戦争のモチベーションは完全にフィリピンの奪還で、かの言葉"I shall return"もフィリピンを指してます。つまり、レイテ島の戦いは米軍が最も本気で戦いに来た戦闘のひとつでした。

なら、さぞかし死闘が繰り広げられたのではないか、と想像してしまうかもしれません。全く違います。ほぼ一方的な戦局で、投入された日本兵、9万人のほとんどが戦死しました。しかも、そのほとんどが戦闘によって死亡したのではなく、餓死や病死でした。なぜかというと、歩兵を大量に投入したにもかかわらず、制空権と制海権のどちらも米軍に奪われており、完全にレイテ島内の歩兵が孤立していたためです。空や海からの補給が届かず、完全なる持久戦になってしまったのです。補給の無い歩兵は戦力になりません。一方的な虐殺になったわけです。これが、レイテ島に限らず、ガダルカナル島などでの戦闘の事実でした。

つまり、ただただ日本兵が米兵に殺されたり、餓死していく様を映像化しても誰も楽しくない。だから邦画でもアンタッチャブルな領域だったのかもしれません。ちなみに硫黄島の戦いも虐殺に近しいものがありますが、硫黄島は米軍が唯一敵国以上に戦死戦傷者を出した戦いで、ノルマンディー上陸作戦よりも米軍は被害を受けてます。日本軍は文字通り一矢報いた戦いでした。つまり、映画というエンターテイメントが成り立つ。

では、野火という作品でこのレイテ島の戦いをどう表現したか。


①強烈なリアリティ

この「野火」という作品は圧倒的にリアルです。どこがリアルかといえば、端的にいえば"グロさ"です。戦争映画では、グロさは重要な評価ポイント。それがないと戦争がもつ残忍さや醜さを表現できないから。ただ、あまりやり過ぎるとホラー映画みたいになってしまい、本来伝えたいメッセージが伝わらなくなったりする。

本作品はホラー映画さながらにグロいです。なのに、ホラーではなく戦争映画として成立している。この理由は②で解説したいと思います。

本作品のリアリティがその戦争のグロさを捉えた点と言いましたが、ちょっとネタバレ覚悟で具体的に話したい。

背景情報で触れましたが、太平洋戦争末期の南方戦線はまさに地獄でした。海と空から敵に囲まれ、物資や食料は補給されなかった。さらに悪いことに、末期には玉砕は禁止されていた。つまり、弾薬も食糧も支援しないが、とにかく島で戦い続けろという指令だったわけです。この状態で戦闘が始まると日本兵はどうなるか、それを映像で示したのがこの「野火」です。

まず始めに起るのは飢餓。本作品でも冒頭から表現されています。敵と戦うのではなくて、一日でも生き延びるためにただそこに存在するという状況。

次に起こるのが、強奪。食料がないなら他人から奪えば良いということ。フィリピン住民や時には味方の日本兵を殺して奪うことも。ほぼ野性動物化しています。このあたりはこの作品のテーマでもあるように思います。

そして、地獄の中で最後に現れたのがカニバリズムでした。まさに衝撃。詳しくは作品をご覧ください。

ここまで絶望や暴力的表現のオンパレードの作品かと勘違いされてしまいそうですが、なぜか美しさがある作品なんです。そのあたりを次回に。

続く。